易経実践家 飯田吉宏公式ホームページ

易経の歴史

易経は、今から5千年以上前の古代中国でその原型が生まれました。

 

現代では神話や伝説として語られているほどの大昔です。

あまりにも時代が古いため、正確な作者はわかっていません。

 

あくまで伝承ですが、「漢書芸文志(かんじょげいもんし)」という文献に、

易経の作者に関する言葉が記されています。

 

「人は三聖(さんせい)を更(か)え、世は三古(さんこ)を歴(へ)たり」

 

三聖とは、伏羲(ふっき)、周の文王と息子の周公旦、孔子であり、

三古とはそれぞれが生きた時代を指します。

 

伏羲は、古代中国の伝説上の人物です。

易経の原点である陰陽を生み、

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉にある「八卦」を作ったとされています。

 

そして、周の文王と息子の周公旦が本文を記し、易経の本体部分が成立しました。

当時は「周易(しゅうえき)」と呼ばれ、

歴史的にも「周」の時代に占いの書として発展したことがわかっています。

 

この「周易」に、本文のガイドブックにあたる「十翼」を付したのが孔子です。

ガイドブックの数が十個であることから、

十の翼で本体を支えるという意味で「十翼」という名称になっています。

 

孔子は、晩年、周易を大変好み、

本のとじ紐(当時は革製)が何度も切れるまで読み込んでいたと伝えられています。

 

これは、「韋編三絶(いへんさんぜつ)」という言葉で日本では古くから知られてきました。

日本人にとって馴染み深い中国古典である「十八史略」にもその言葉が見えています。

 

周易が成立したのが紀元前12世紀とされるのに対して、

孔子が生きていたのは紀元前5世紀ですから、

孔子の時代にはすでに古典として読まれていたことになります。

 

その後、「後漢」の時代に四書五経(儒教の経典群)の一つに加えられ、

周易と十翼とを合わせた「易経」へと発展を遂げました。

 

易経の成立過程については様々な説があり、

上記した孔子の伝承についても、

実際には孔子の弟子を始めとする儒家たちが、編纂したものといわれています。

 

しかし、易経が千年単位の長い年月をかけて、

多くの賢人によって形成された書物であることは論を待ちませんし、

その間に示されたおびただしい数の解釈と注釈が、

今日まで読み継がれる易経の土台を築きました。

 

こうした業績の積み重ねにより、易経は占いの書に留まらず、

帝王学、変化予測、思想、哲学、数学、果ては宇宙論にまでその裾野を広げています。

 

歴史的な視点では、日本の元号である「明治」と「大正」も易経が出典となっています。

 

日本の政治史においても非常に重要な文献として扱われてきた証拠といえるでしょう。

 

 

 

【易経の基礎知識】

 

 

1、易経の歴史

 

2、易経が教える時と変化

 

3、陰陽概念と八卦

 

4、六十四個の時の物語

 

5、時中と時流

 

6、易の三義

 

7、吉凶悔吝(きっきょうかいりん)